もうわかりきっているというか半ば諦観しているけれど、あと数年もしないうちに "完全オリジナルで完璧な絵を出力するAI" は完成するだろう。ほんの数年前まで、AIが発達したとしてもクリエイティブな仕事が奪われることはない、とか言っていたのに。人間がクリエイティブな生き物であるが故の弊害か、AIをクリエイティブにさせようと学習させまくった結果だ。文字通り秒で100枚の絵を出力できる。かがくのちからってすげー。

そもそもこのAI絵についての話題も、この世の事象の大半と同じように、絵を描くことに一定の価値やプライドを見出していない人々からすれば対岸の火事、描いたのがAIか人間かなどどうでもいいことなのだ。タグのないAI絵がバズりまくっているのを見ればそれは明確だ。

そもそもタグによるゾーニングも自発的な表明でしかなく、黙ってしれっと上げたら誰にも見破れない、というよりそもそも見破る必要がない。世間一般からすれば、絵に費やした時間やそこに至るまでの努力というものは、見る人がその絵を描いた人自身に価値を見出さない限り完全に無価値であり、そういう作家論的な観点を排除して絵の魅力でのみ評価されるというのは、ある意味公平で正しい姿勢なのかもしれない。むしろそのようにアプローチできる絵をAIが生み出せているという事実には素直に感心するし、参考にすべき点があるとも思う。

 

ただやはり、俺は絵を描く側の人間であるから、いろいろ思うところはある。

AIに絵を出力させ、SNSに上げて承認欲求を満たす。

それ、楽しいのか?虚しくないのか?

と思ったが、たぶん大半の人は「絵を描く」というより「AIで絵を出力すること」が面白いのであり、AIのべりすとやChatGPTで文章を生成するのと同じ感覚なのだろう。それだけならまだいい。

俺が腑に落ちないのはAI絵を自分の力で描いたと発言する勘違いバカが多いことだ。特に他人の絵をAIに食わせて自作発言するゴミカス野郎。お前には道徳がないのか。まあ太古の昔からこの界隈では実績のあるプロでさえトレパクで炎上することはままあったし、AIによって母数が指数関数的に増えたことでそういうカスが大量に出てくるのはある意味自然の摂理というか、人間の不完全な部分が露呈しているだけなのだろう。

そんな現状に憤りを感じ、Twitterで反AIを掲げてお気持ち表明したところで状況が好転することはないし、世間一般から見ればそれはチンケなプライドを持った自称絵描きの悪あがきにも満たない些末なわめきでしかない。

 

もはや俺みたいな底辺が描く絵に価値はない。

 

それでも俺は絵を描くのをやめない。

何時間もかけて試行錯誤しながら絵を描く楽しさ、納得のいく絵を描きあげたときの高揚感、誰かに絵を見てもらって褒められたときの嬉しさ、過去の絵を見返したときに実感する自らの成長。 世間一般でこれらがどれだけ無価値になろうとも、俺にとってはその全てがかけがえのない体験だ。

なにより、俺は俺の描いた絵が好きだ。そりゃ昔に比べたらある程度は上手くなったとはいえまだまだ下手くそだと思うし、時にはあまりの下手さに絶望し、本気で死にたくなることもある。しかし下手なりに完成させた絵は愛おしいと感じる。俺自身が俺自身の感性と技術を以て1から描きあげたという紛れもない実感があるからだ。

俺はこの実感、確信を失いたくない。何もかもが中途半端な俺の人生の中で、描きあげた絵だけが自分の存在価値をはっきりと自覚させる。俺が唯一見出した磨くべき才能。誰かのためじゃなく、俺自身のために。